「自由にやらせてください」この言葉を聞くと、
なんだか前向きで、個性を大切にしているように
聞こえる。しかし、その裏にある責任についてまで
本当に考えているだろうか?
ある職場で、ある若手社員が「このやり方は効率
が悪いので、もっと自由にやらせてください」と
提案してきた。チームで決めた過去のルールを
守ることに疑問を感じたのだろう。しかし、
「それなら、結果についてもあなたが責任を
取れるのか?」と尋ねると、言葉に詰まって
しまった。
自由というのは、好き勝手に振る舞うことでは
ない。皆で合意したルールを無視して、自分
勝手に行動するのは「わがまま」でしかない。
実際にその若手社員は、自分のやり方で業務
を進めた結果、クレームが発生し、最終的には
上司やチームに助けを求めることになった。
自由を主張したなら、最後まで責任を持つ
覚悟が必要だったのだ。
これは、社会全体にも当てはまる。アメリカは
「自由の国」として知られているが、その自由
の裏には自己責任が厳しく求められる。たとえ
失業しても、病気になっても、日本やヨーロッパ
のような手厚い社会保障は期待できない。
つまり、「自由に生きる」ということは、
「自分の選択の結果を引き受ける覚悟」が
セットで求められるということだ。
自由は素晴らしい価値だ。だが、その裏には、
責任という影の部分がある。バランスを取る
こと、ルールの中で自分らしくあること、
それが本当の意味での「自由」なのでは
ないだろうか。自由を求めるなら、その分だけ
責任を果たす。それができてこそ、人としても、
社会人としても信頼されるということ!!