思いやりまで誤解される時代に

倫理の学び

最近、ちょっとした言動が「セクハラ」
や「パワハラ」と受け取られることが
増えたように感じます。
もちろん、相手を傷つける意図のある
言動はあってはならないことですし、
社会全体がその感度を高めるのは
良いことでもあります。

ただ一方で、「がんばれ」と声をかけたり、
励ましのつもりで背中を軽く叩いたり、
昔なら当たり前だったちょっとした
コミュニケーションさえ、誤解される
ことがあります。
叱咤激励さえも難しくなってきた…と
感じる場面もあるのではないでしょうか。

かつては、そういったやり取りの中に、
相手を気遣う気持ちや信頼関係が育まれて
いました。
今は個人の尊重が重んじられる分、人との
距離感に慎重にならざるを得ない場面も
増えました。
その結果、互いの気持ちがすれ違いやすく
なり、関係が浅くなっているように思える
こともあります。

もちろん、時代が変わればコミュニケー
ションの形も変わっていくもの。
けれど、相手を思っての言葉や行動まで、
すべて「不適切」として片付けてしまう
のは少し寂しい気がします。

大切なのは、言葉の表面ではなく、そこに
ある「意図」や「気持ち」を汲み取る力。
そして、受け手の感じ方にも配慮しつつ、
思いを丁寧に伝えようとする姿勢では
ないでしょうか。

人と人との関係が希薄になりがちな今だから
こそ、“思いやりを汲み取る心とそれを
上手に伝える方法”が求められている
のかもしれません!!

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