秋祭りの季節。
今年も、神社の大幟(おおのぼり)を立てる
行事に参加しました。町内の上・中・下の
三組が、それぞれの幟を立てる恒例の作業
です。
毎年、幟の柱は倉庫から順に取りに行きます。
中組の私は、いつも通り「下組が先、うちは
その後」という段取りで柱を取りに行きました。
すべて例年通り・・・のはずでした。
ところが、幟を通す“チチ”と呼ばれる
輪っかを柱にくぐらせるていると、妙な
違和感が。
「いつもより擦れてるな…」と思いつつも、
長年の経験から“まあ大丈夫だろう”と
作業を進めてしまいました。
いざ東西の柱を立てようとすると、今度は
土台の穴と柱の位置が合わない。
「えっ、こんなこと初めてだ!」
東西を入れ替えてみても結果は同じ。
混乱しているところへ、下組から連絡が
入りました。
「すみません。持っていった柱、実は
中組のものでした!」
なんと、倉庫から取り出した時点で
柱を取り違えていたのです。
約30年間幟立てをしてきたけど、
こんな事は初めて。
柱をよく見ると、確かに太さも違うし、
ささくれもある。
しかも底には「下東」とマジックで
書いてある
完全に“見えていたのに見ていなかった”
のです。
思い返せば、最初の違和感で気づけた
はずでした。
柱の途中に貼られた銀色のガムテープも、
「誰かが気を利かせて巻いたんだろう」と
思い込み、深く確認しなかった。
あの時、立ち止まって確かめていれば…。
結局、柱の交換に手間取り、作業は二倍の
時間に。しかも雨が降り出し、全員雨に
打たれた。
「確認を怠った代償は、いつも予想以上に
大きい」と痛感しました。
今回の出来事で強く感じたのは「思い込みは、
注意力を奪う」ということです。
“毎年のことだから大丈夫”という油断が、確認
という基本を見事に抜け落させてしまった。
実は、違和感というのは「未来からの警告」
のようなもの。
ほんの小さな引っかかりを放置すると、
後になって大きな手戻りや失敗となって
返ってくる。
見ているつもり、分かっているつもり
その「つもり」が、私たちの視界を一番
狭くしてしまうのかもしれません。
次に同じ場面に立った時は、
“いつも通り”こそ一度立ち止まって
確かめる。
そのひと手間が、失敗を防ぎ、確実な結果を
生むのだと思います!!
